私は1970年ちょうどにBCLと言う趣味を始めました。
当時は岡山県津山市の実家に住んでおり小学生でした。まだ、「世界の放送を短波で聴取する」というブームが始まる少し前になります。
BCLを始める数年前に電気に興味を持ちました。そして、電気に関する本を親にねだって購入してもらい勉強をしていると、短波受信の件が目に留まりBCLを当時の実家にあった5球スーパーラジオの短波も聞けるもので始めるに至りました。アンテナはBCLを始めた時には数メートルの電線だけだったと思います。
岡山の実家では今から思えば非常にノイズが少ない環境だったと思います。5球スーパーのラジオと数メートルの電線だけで、49メーターバンドのブラジルの放送局がとてもよく聞こえていた思い出があります。
そのうち、電波新聞社から出版されていた「ラジオの製作」を購入するようになり、アンテナは屋根に張った20メートルくらいのロングワイヤー、その後、1970年代後半には40メートルのロングワイヤーになったと記憶しております。受信機も、5球スーパーからICF-5400、ICF-5800、9R59DS、自作高2中3のスーパーヘテロダイン受信機、JR-310(BCLバンド改造機)・・・
周辺機器も、アンテナカップラー、アクティブプリセレクター、ビート発振器、周波数カウンターと進化し、いわゆる「直読」を1976年頃には実現をしていました。当時は津山市にもパーツ屋があったので部品購入できましたし、大阪の日本橋にも年に数回足を運んだり通信販売も利用しました。
そして、聞こえる局も拡大し中南米、北米、オセアニア、アジア、中近東、ヨーロッパ、アフリカなどと世界中からの電波を聞いて楽しむうち、アフリカの言語と音楽に非常に興味を持つようになり朝の2時~4時頃に良く聞くようになりました。この頃はBCL大ブームの頃です。
アフリカ局であれば1kW位の出力があれば当時は聞こえておりました。もちろん岡山の環境も良かったのはもちろんです。短波に出ているほとんどのアフリカ局を当時聞いたと思いますし、多くの局からQSLもいただいたと思います。本当に良い思い出です。
岡山でのBCL活動は、私が20才の時まで続きました。その時を振り返りますと以下のようになります。
①都市ノイズのない非常に低雑音な受信環境。
②大きなアンテナを張れる広いスペース。
③日本BCL連盟からのサポート。(津山ミーティング長、岡山ミーティングにも参加)
④非常に良いBCL仲間の存在。
今でも、岡山県津山市の実家に帰ると自宅で長いアンテナを張って聞く事があります。やはりローノイズで受信には非常に良い環境であると思います。これからもこの受信を楽しもうと思います。本当に私にとって津山での受信は非常にアツかったし、これからもアツいと思います。
皆さまも、ぜひ岡山にペディや観光においでください。きっと、この環境に満足されると思います。
岡山県の岡アツのロゴを張っておきます。私自身も岡山にはアツい想いを持っています。